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白鳥庭園でお茶体験

新学期が始まりました。

この春から大学で歴史観光まちづくり学を教えることになり、
担当の1年生と一緒に白鳥庭園散歩に行きました。

所長さんに堀川と白鳥の由来を説明してもらい
seminer1.jpg

清羽亭広間で番頭さんにお茶室の由来を聞いた後、
お茶で一服しました。
動作一つ一つに意味があることを教えてもらいます。

全員1回ずつお茶を点てる体験。
seminer2.jpg

お茶を点てると背筋も伸びるようです。
名古屋のお茶文化が学生さんたちにも広がるといいですね。
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『春物自清美』

あっという間に3月になってしまいました。
3月というと、花も色づき、寒くても気分はもう春です。
近所の梅も綺麗に咲きました。
hirashiba.jpg

年明けてから2月はお茶会があちらこちらで開かれていますが、
あいにくお茶会の模様はなかなか写真に撮ることができないのが残念です。
名古屋は一般客が参加できるお茶会が多数あり、
流派も違えば趣向も異なり、面白いものです。
それにしても、愛知県(特に瀬戸や東部の方)には行政の作ったいい茶室があることに驚きます。
toji.jpg 陶磁美術館(設計:谷口吉生)


さて、床に飾られる軸や花は、お茶会の趣向や季節感を端的に表します。
年末、掛けられる代表的な内容は、一年が無事に終わることを感謝するもの。
jiku12.jpg
『先今年無事 目出度 千秋楽』

年が明ければ、
『春光入寿盃』
新春に友と盃を交わす、など新春を喜ぶ句がよく用いられます。

2月になると
jiku2.jpg jiku2-2.jpg
鶯と梅がモチーフです。
左は『うぐいすや いずくにありや 梅の花』
右は『鶯』と文字で書かれ、梅の花は絵で描かれています。

そして3月。
jiku3.jpg
『春来草自生』
いよいよ生物の芽が出る春ですね♪

今、徳川美術館では徳川家のおひな様が展示中ですが、
常設の名古屋城茶室(復元)の床に掛けられている軸は
『春物自清美』
春は何もかもすべてが清く、美しい。
若干18歳で亡くなった、尾張藩最後の藩主16代徳川義宜の書でした。

名古屋的茶会 Nagoyatic tea ceremony

尾張名古屋のお茶は庶民の文化。
The tea culture in Nagoya is a vigorous popular culture.

文化文政の時代(1800年代初め、江戸中期)、尾張一帯では武家や商家から庶民まで、尾張藩が抹茶禁止令を出すほどに茶が大流行しました。
織田信長の弟の有楽斎が始めた有楽流に始まり、
京で茶を習って帰ってきた豪商らによる千家流茶道、
表千家から派遣されてできた松尾流など名古屋特有の流派もできました。
Chanoyu became very popular despite classes of society in the middle age of Edo period in early 1800's.
There were many schools of tea ceremony in Nagoya at that time.
Urakuryu(the Uraku way of tea) was founded by Oda Uraku who was Nobunaga's brother. Senkeryu(the Rikyu way of tea) was popularized among wealthy merchants like Ito Jirozaemon who was the founder of Matsuzakaya department store. Matsuoryu(the Matsuo way of tea) was founded by Matsuo Soji who was dispatched to teach tea procedure from Omotesenke in Kyoto.

禁止令は効果がないどころか、ますます盛んになるばかり。
当時の名古屋は饅頭の生産高も日本一でした。
明治になって西尾が抹茶の大産地となり、ますます抹茶は身近な飲み物となったのです。
Tea culture was too popular and so Owari Domain enacted a ban on tea ceremony but it didn't work at all. Nagoya people was the main consumer of Manju(Steamed bean-jam bun) as well.
Nishio, which is located close to Nagoya, became a major production area of Macha(green powdered tea) in Meiji period, and Chanoyu became an entertainment familiar with the public more and more.
Many local coffee shops traces back to Nagoya's tea culture.


そんな名古屋のお茶会で、圧倒的頻度で使われる茶舗といえば、松柏園(しょうはくえん)です。松柏園は升半茶店の別名。
そう、夏限定の抹茶ソフトが美味しいあの店です。

お茶を一口飲み、客は亭主に対して「銘は?」とお茶の銘柄を聞きますが、
「千代昔でございます」
と答えられたら、それは松柏園の最高格の濃茶用抹茶、
名古屋において最高格のお茶会といえるでしょう。
Shohakuen is the most popular tea company in Nagoya.
If Chiyomukashi,the highest grade of green tea of Shohakuen, are used at tea ceremony, that means you join in one of the best tea ceremony definitely.
hatsu2.jpg

東山荘で行われた社中の初釜。
hatsu1.jpg
気心の知れた仲間で美味しいお茶を飲み歓談することが
お茶会の何よりの楽しみです。
誰もが茶を飲みおしゃべりする尾張名古屋、現在も喫茶店文化となって受け継がれています。
Our school's Hatsugama(new year's tea ceremony) was held at Tozanso in Nagoya. There is no greater pleasure than that of having a pleasant chat at such a gathering with close friends over food and drink.

新年のお茶 Tea in January

新年初のお稽古は、初釜の練習。
初釜で使用する及台子(きゅうだいす)を使います。
The lesson started for practice Hatsugama(the New Year's first tea ceremony). The shelf is called Kyudaisu.
shinshun3.jpg
これは、青漆爪紅台子(せいしつつまくれだいす)と言い、
千利休の養子、千宗旦が東福門院(徳川秀忠の五女和子、後水尾天皇の中宮)
へ献茶の折に好んだもので、宗旦好みと言われます。
及台子という名は、唐の朝廷に及第した学士のみが通れる門に似ていたことから由来したとか。
Sen-no Sotan, Rikyu's adopted son, liked the shelf. He used it when he gave tea to the Princess Tofukumon'in.
It was brought from China and the name of Kyudaisu came from an anecdote about the court of China.

台子の上に飾ってあるのは、日の丸なつめ。
緑に赤がよく映えますね。

shinshun2.jpg hanabiramochi
お菓子はお正月の定番、花びらもちです。
花びらもちは裏千家の初釜によく用いられます。
一方、表千家では、花びらもちではなく常盤饅というお菓子を使います。
常盤とは、千年変わらぬという松の翠を指す言葉で、
白い薯蕷の皮で緑餡(白餡を緑色に染めたもの)を包んだお菓子。
当初は虎屋特製だったようですが、今は多くの和菓子屋さんで作られています。
This is traditional new year's sweet, Hanabiramochi. Gobou(burdock root) is spooled sweet been paste. Hanabiramochi is used at Urasenke's ceremony traditionally.
Omotesenke's new year sweet is Tokiwa Manju.
tokiwa.jpg Tokiwa manju(写真は表千家HPより)

さて、今日は白鳥庭園でも新春茶会が開かれていたので行ってきました。
白鳥新春2 白鳥新春
お正月らしく獅子舞も踊っています。

白鳥庭園のお茶室は、通常広間や立礼席の方が使われていますが、
年始だけは2畳台目の小間を使います。
いつもの市民茶会は、順番が来たら広間でお茶をいただくだけですが、
この時は、中待合で順番を待ち、
荷物を外に置いて躙り口から入ってお茶をいただくという
お茶会らしい雰囲気を味わうことができます。
The new year's first tea ceremony was held at Shirotori garden in Nagoya. There are authentic Nijodaime(two tatami mat) tea room and the new year's first tea ceremony is held in the room.
白鳥小間2

小間の茶席は裏千家だったのですが、なんと出されたお菓子はほかほかの常盤饅。
出来たてで美味しかった♪

有楽苑初釜 the New Year's first Tea ceremony in Inuyama

新年あけましておめでとうございます。
今年は、年末からずっとお天気がよく、いいお正月でしたね。
The weather had been lovely during new year days.

1月4日は毎年恒例の犬山の有楽苑初釜に行ってきました。
有楽苑は国宝茶室如庵と共に、犬山ホテルの中にあります。
I joined the new year's first tea ceremony in Urakuen, Inuyama.
Urakuen has national treasure tea room'Joan' in the garden next to Meitetsu Inuyama hotel.
urakuen1.jpg urakuteijoan.jpg 有楽苑 Urakuen

有楽苑とはその名の通り、織田信長の弟、織田有楽斎の建てた茶室です。
有楽斎は、利休七哲と言われ、利休の弟子の中でも特に優れた茶人でした。
Urakuen was named from Oda Uraku. He was the brother of Oda Nobunaga, who took control of whole country in the age of provincial wars in 1500's.
Uraku learned chanoyu from Sen no Rikyu and he was one of the greatest tea devotee in Rikyu's disciples. His tea style have been derived as Urakuryu up to the present.

如庵は有楽が隠居して建仁寺に居を移した時に造られ、
その後、祇園、東京の三井家、神奈川の大磯と点々とし、
最後に1972年、名鉄によって有楽の生まれ故郷に移されることになりました。
如庵は2畳半台目の小さな茶室で、塗り壁や天窓の作り方など、とても端正な茶室です。
Uraku moved to his residence to Kenninji temple in Kyoto when he retired and he built the two mat tea room 'Joan'.
After his death, Joan has been moved from Kenninji temple to Tokyo by Mitsui zaibatsu, finance group. Finaly it was moved to Inuyama, where Uraku was born in, by Meitetsu group in 1972.
joan.jpg

表千家主催で毎年元旦~6日に開かれるこの初釜は、
1日500人以上も来る有名な茶会です。
大勢の着物の人達が集うお正月の風物詩として一度行ってみるのも一興ですよ♪
The new year's first tea ceremony in Urakuen is held by Omotesenke.
Many women in formal Kimono are there.
urakuen2.jpg

inuyama1.jpg
犬山の城下町は年末年始はにぎわってます。
ほのぼのとしていて、いいですね。
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